「不良」と聞くと、良くないイメージがありますよね。

でも、一体どういう人間が「不良」なのかは、人それぞれの価値観によって若干違ってくるものなのかもしれません。

親であれば、自分の子どもが「不良」にならないように、しっかりと教育をしたいと思うでしょうし、「不良」と付き合ったり、関わりを持つことは避けてほしいと思うでしょう。

では、一般的にどういう人を「不良」というのか、「不良」になりやすい人はどんな人なのか、それが少しでもはっきりとすれば、「不良」にならないための予防策も取りやすくなりますよね。

「不良少年行為」は、少年活動規則第2条第6号で、「非行少年には該当しないが、飲酒、喫煙、深夜徘徊その他自己又は他人の徳性を害する行為、つまりは不良行為を行っている少年」と規定されてはいますが、不良行為少年に該当していなくても、そのような印象を受ける人に対しても「不良」という言葉は使われることがあります。

つまり、「不良」は、その人を周りが見たときに印象で、決まるのです。

印象というのはとても主観的なものなので、ある人を「不良」と思う人も居れば思わない人も居るというとてもあいまいなものです。

例えば、髪を明るく染めていたり、ピアスをあけているだけで「不良」と感じる人もいれば、全く何も感じず普通に受けられるという人も居ますよね。

だから、自分では「不良」だと思っていなくても、相手から「不良」だと思われている場合もあるのです。

一方で、自ら「不良」になりたいと望む人も居ます。

「不良」の中には、社会規則に疑問を感じ、権力に縛られたりすることを嫌い、ありのままの自分で自由に行動することを信念するため、周囲に反抗的な態度を取って反発している人もいます。

自ら「不良」となることは、なにかのメッセージのように思えませんか?もちろん、中には、「不良」がかっこよく見えて、自分も真似をするというパターンの「不良」もいるかもしれませんが、「不良」がかっこいいと思う時点で、何か心につっかかるものがあるのではないでしょうか。

それは、思春期特有のものであったり、家庭環境から生じるものであったり、色々だとは思いますが、そのつっかかりに注目することが、「不良」を防ぐ一番のポイントなのだと思います。

でも、私は、すべての「不良」が悪いものとは思いません。

自分の心にあるつっかりを自分で感じて、どうにか自分で解決したいという、自己防衛の一種にも思えるからです。

そうすることで自分が保てるなら、自分で自分を助ける方法を見つけられるなら、生きていくうえでこんなに頼もしいことはありませんよね。

人に迷惑を掛けなければ、多少の「不良」は許されてもいいのではないでしょうか。

「不良」ならないようにと躍起になって、過保護、過干渉で育ててしまうと、それこそストレスを溜めてしまうことになりかねません。

あるがままの姿を受け入れてあげられる親になりたいものです。

周囲の大人たちができること

不良に対しての大人の目は冷たいです。

自分の子どもに不良が近づこうものなら、全力で阻止しようとするでしょうし、教師も、自分に反抗してくる者として、何かにつけて目をつけ、他の人よりもきつく当たることも多いのではないでしょうか。

もちろん、中には、不良だからといって差別せず、むしろ心が穏やかになるように働きかけてくれる良い教師もいるでしょうが、そんなドラマのようなことは現実ではあまりなく、不良は悪い物、排除すべきものという概念が大人の中には少なからずあります。

でも、存在を否定され、目の上のたんこぶ的な扱いを家でも学校でもされ、不良はどうやって、不良でなくなればいいのでしょうか。

もしも自分の子どもが不良になった時、反抗してくる我が子に、何を言ってはだめ、とあきらめてしまうかもしれません。

ちゃんとしなさい、そんなことはやめなさい、とあれこれ干渉しても、さらに反発されてしまう悪循環に陥ってしまいますが、だからといって、諦めてしまっては絶対にいけません。

不良は、子どもと大人の間で揺れているのです。

どう、自分を保てばいいのかわからないのです。

でも、必死で何とかしようと自分の中でもがいているのです。

言わば自分との闘いです。

親はそんな時、手を差し伸べることは難しいでしょう。

拒否されてしまいますからね。

でも、大人になるための第一歩として、それ以上道がそれてしまわないように、否定するのではなく、見守るのが大人の役目なのだと思います。

我が子が不良だという親だけでなく、社会全体が不良についての見方を変えて、見守ってあげれば、その後非行に走ることは防げるのではないでしょうか。